※〔〕の中は作品中の振り仮名
  解説は島田の独断であることをお許し下さい。

一本木野

松がいきなり明るくなつて
のはらがぱつとひらければ
かぎりなくかぎりなくかれくさは日に燃え
電信ばしらはやさしく白い碍子をつらね
ベーリング市までつづくとおもはれる
すみわたる海蒼〔かいさう〕の天と
きよめられるひとのねがひ
からまつはふたたびわかやいで萌え
幻聴の透明なひばり
七時雨〔ななしぐれ〕の青い起伏は
また心象のなかにも起伏し
ひとむらのやなぎ木立は
ボルガのきしのそのやなぎ
天椀〔てんわん〕の孔雀石にひそまり
薬師岱赭〔やくしたいしや〕のきびしくするどいもりあがり
火口の雪は皺ごと刻み
くらかけのびんかんな稜〔かど〕は
青ぞらに星雲をあげる
     (おい かしは
      てめいのあだなを
      やまのたばこの木つていふつてのはほんたうか)
こんなにあかるい穹窿〔きゆうりゆう〕と草と
はんにちゆつくりあるくことは
いつたいなんといふおんけいだらう
わたくしはそれをはりつけとでもとりかへる
こひびととひとめみることでさへさうでないか
     (おい やまのたばこの木
      あんまりへんなをどりをやると
      未来派だつていはれるぜ)
わたくしは森やのはらのこひびと
蘆〔よし〕のあひだをがさがさ行けば
つつましく折られたみどりいろの通信は
いつかぽけつとにはひつてゐるし
はやしのくらいとこをあるいてゐると
三日月〔みかづき〕がたのくちびるのあとで
肱やずぼんがいつぱいになる

                     (一九二三、一〇、二八)

※穹窿:弓形に見える天空。大空。蒼穹。


解説 :

こんなあかるい穹窿と草と
はんにちゆつくりあるくことは
いつたいなんといふおんけいだらう

というフレーズは,盛岡市北部や滝沢村に広がる,並木・牧草地・岩手山という組み合わせの景観のところを歩いていると実感できると思います。
 作品の舞台は滝沢村一本木集落周辺の平坦な草地の広がるところです。「松がいきなり明るくなつて」というのは街道沿いの並木が一本木のあたりでなくなる様子を描いています。その後明るい草地を歩いて,気になったものを詩(賢治は“心象スケッチ”と称していますが)に表しています。


滝沢野

光波測定〔くわうはそくてい〕の誤差〔ごさ〕から
から松のしんは徒長〔とちやう〕し
柏の木の烏瓜〔からすうり〕ランタン
   (ひるの鳥は曠野に啼き
    あざみは青い棘に遷〔うつ〕る)
太陽が梢に発射するとき
暗い林の入口にひとりたたずむものは
四角な若い樺の木で
Green Dwarfといふ品種
日光のために燃え尽きさうになりながら
燃えきらず青くけむるその木
羽虫は一疋づつ光り
鞍掛や銀の錯乱
   (寛政十一年は百二十年前です)
そらの魚の涎〔よだ〕れはふりかかり
天末線〔スカイライン〕の恐ろしさ

                    (一九二二、九、一七)


解説 :

 賢治はこの作品の翌日に「東岩手火山」という作品を作っています。そのことから考えると,おそらく滝沢駅を下車し,柳沢集落を通り,岩手山登山に向かったと考えられます。賢治は足繁く岩手山に登っていたことが知られていますが,そのときによく並木を利用していたことでしょう。
 題の「滝沢野」という場所は地形図には見当たらないものの,いわて銀河鉄道滝沢駅の西側の平坦地であると思われます。このあたりは,賢治が歩いた頃から岩手県の畜産系研究所の敷地でした。この敷地内の牧草地などの草原にカシワの木がポツンと生え,その木にカラスウリが絡んでいる様子からカンバやその周辺に舞う羽虫に目を向け,さらに羽虫の向こうに鞍掛山,岩手山が見えたのでしょう。


厨川停車場

(もうすっかり夕方ですね。)
けむりはビール瓶のかけらなのに、
それらは苹果酒〔サイダー〕でいっぱいだ。
(ぢゃ、さよなら。)
砂利は北上山地製、
(あ、僕、車の中へマント忘れた。
すっかりはなしこんでゐて。)

(あれは有名な社会主義者だよ。
何回か東京で引っぱられた。)
髪はきれいに分け、
まだはたち前なのに、
三十にも見えるあの老けやうとネクタイの鼠縞。

(えゝと、済みませんがね、
ぼろぼろの繻子のマント、
あの汽車へ忘れたんですが。)
(何ばん目の車です。)・・・・・・
 (二等の前の車だけぁな。)

Larix,Larix,Larix,
青い短い針を噴き、
夕陽はいまは空いっぱいのビール、
くわくこうは あっちでもこっちでも、
ぼろぼろになり 紐になって啼いてゐる。

(一九二二、六、二、)


解説 :

 「厨川停車場」というのは現在のいわて銀河鉄道の厨川駅にあたり,並木の南側の入口にもあたります。駅から北に進むと東北農業研究センターや家畜改良センター岩手牧場の敷地となり,その周辺にはアカマツやカラマツの並木が見られます。
 なお”Larix”とはカラマツの学名の一部分(属名)を示し,ここではカラマツを指しています。厨川駅の周辺にもカラマツが見られたのでしょう。